部屋の隅に置かれた小さな古びたバスケット。
その前で、娘が笑い声をあげていた。
「それでね、今日は学校でこんなことがあったんだ!」
母親は台所からその様子を見て微笑んだ。
娘が話しかけている相手などどこにもいない。
ただの空想遊びだとわかっていた。
それでも、彼女の楽しそうな声を邪魔する気にはなれなかった。
「お母さん!」
娘が振り向いて叫んだ。
「明日からクラブの合宿で二週間家を空けるから、このバスケットの前に毎日水を置いてあげてね。約束だよ!」
「ああ、わかったわかった」
母親は笑いながら返事をしたが、その言葉に重みはなかった。
忙しい毎日に追われる中、そんな小さな頼みごとはすぐに忘れ去られてしまった。
数日後、バスケットの中から奇妙な音が聞こえてきた。
蓋が勝手に開き、中から何かが這い出してきた。
それは形を持たない不気味な影のような存在だった。
影は台所に向かい、蛇口をひねると流れ出る水をむさぼり始めた。
しかし両親は気づかず寝室で熟睡していた。
飲むほどにその体は膨れ上がり、やがて人の背丈を超える大きさになってガラス窓を突き破り、外へと飛び出した。
二人がその音に気づいてとび起きたときはもう遅かった。
近所の人々が悲鳴を上げる中、バスケットの中にいた何かは住宅地を流れる川の水を浴びさらに巨大化……
角が生え、鋭い牙をむき出しにして咆哮を上げるその姿に、街全体が恐怖に包まれた。
怪獣が暴れ回り、建物を次々と破壊していく。
消防車や警察車両が駆けつけるが、全く歯が立たない。ついに政府は怪獣撃退部隊を出動させた。
部隊は最新鋭の兵器を駆使して怪獣に立ち向かう。
しかし、その動きは予測不能だった。
娘の想像で生まれた怪獣は、どんな攻撃にも対応し、次々と作戦を無効化していった。
「こんな恐ろしい怪獣ははじめてだ!」
部隊のリーダーが叫ぶ。
最後の手段として、部隊は戦闘用ロボットを投入。
激しい戦闘が繰り広げられる中、ついに怪獣を倒すことに成功した。
しかし、その代償として街の大半は瓦礫と化してしまった。
二週間後、娘が帰宅した。
娘は目を丸くして周囲を見渡した。
彼女を迎えたのは、かつての面影を残さない廃墟と化した街だった。
「ただいま〜」
彼女の家はガラスが割れた以外の被害はなかったが、瓦礫の後始末で両親は疲れ切っていた。
娘はケロリとして周囲のことを意に介さず、合宿の話で盛り上がった。
「ねえ、お母さん、バスケットの中のあいつに水をあげた?」
母親は気まずそうに目をそらしながら答えた。
「ああ…そのことだけどね」
娘は少し考えてから、肩をすくめた。
「あ、やってない? ゴメンね、変なこと頼んで。実はね、その話をみんなにしたらイマジナリーフレンドだって言われたんだ」
そして笑いながら
「そういうの、大人になる過程でいなくなっちゃうんだってね。友達に笑われて恥ずかしくなっちゃった……私ももう子供じゃないし、本物の友だちもできたし、もういいかなって」
母親はその言葉に驚き、同時に怒りが込み上げてきた。
「勝手に大人になってんじゃないよ! お前が置いてった童心の後始末、どれだけ大変だったと思ってんの!」
—— おわり——

