日別アーカイブ: 2025年12月7日

【小説】ぼくらの放課後通信

学校の図書室には、いつも静かな空気が流れていた。
放課後、ほとんどの生徒が帰宅し、僕は一人で自習室にこもっていた。
図書室の隅にある自習室には、決まって誰もいない。
その広い部屋で、僕はテキストとノートを広げていた。
ある日、集中しているつもりなのに、ふと別の誰かの視線を背中に感じる瞬間があった。
振り返ると誰もいない。
気のせいか……
と、ノート下の机に目をやると、何か書かれていた。
「暇だよ」
丸みを帯びた、女の子の字。
その一行が、まるで僕に向けられたメッセージのように思えて、僕は少し驚いた。
誰かが、こんな場所で何気なく文字を残していったのだろうか。
普段なら無視するところだが、その日はどうしても気になってしまった。
僕は鉛筆でその机に返事を書いた。
「勉強はしてるよ。暇じゃないけど」

放課後の図書室、静かな時間の中で返事を待つことが少しだけ楽しく感じられた。
次の日、またその机に向かうと、手書きの文字が書かれていた。
「そんなこと言っても、楽しんでるわけじゃないんでしょ?」
その言葉にはどこか遊び心があり、僕は思わず笑ってしまった。
あの文字に込められた少しの皮肉が、また次の返事を楽しみにさせた。
その日から、毎日放課後に図書室に行き、机の上に残された返事を楽しみにしていた。
文字だけで繋がる誰かとのやり取り。
顔も名前もわからない相手だけれど、返事が書かれているとなんだか胸が高鳴る。
まるで秘密の約束を交わしているような気分になった。
「二人とも意外と顔見知りかもね。狭い学校だから」
「僕は目立たない方だからなあ」
「あはは! あなた、いつも自信なさそうだもん。でも、一歩踏み出したら変わるかもよ」
僕の、几帳面だと自分では思っている字の横に、彼女の筆圧の強い、ためらいのない線が並ぶ。
やりとりはいつも一行、二行程度で簡潔で、でもどこかしら温かみがある。
どんなに忙しい日でも、必ず放課後には机の上に返事が残されている。
相手の言葉が、次第に心に響くようになった。

—— 彼女のこと、ちゃんと知りたい。
最初はただの興味本位だった。ただの気まぐれから始まったこの文通。
でも、次第にその相手のことが気になっていった。
文字の向こうにいる彼女、もしくは彼。
もしかしたら、僕の隣に座っている誰かかもしれない。
僕はその文字を見つめながら、返事を書いた。
「君は、誰なんだろう?」
机に書かれた返事は……
「私もあなたが気になるかも。でも会うのは怖い」
その言葉に、僕は胸が苦しくなった。
僕も同じだ。会いたいと思っている。けれど、思っていた相手じゃなかったらと思うと怖い。
でも少しでも彼女の顔が見たかった。
僕は思い切って提案した。
「明日の放課後、終礼が終わったらすぐ図書室横の樹の下で……僕は待っている」

僕の心は期待と不安でいっぱいだった。
次の日、僕は樹の下で待った。時計の針がどんどん進んでいく。まるで時間が僕を試しているみたいに、一分一分が長く感じられた。
しかし、誰も来なかった。彼女は現れなかった。
どうしたんだろう? 
視界の端が微妙に霞んで、ふと我に返ると、短針はもう下校時刻に近づいていた。

待ちくたびれて、自習室のいつもの机に向かったが、机の僕の字の横には返事がなかった。

次の日の放課後、いつものように丸い字でメッセージが書かれていた。
「ごめんね」
その一言に、心が締め付けられるようだった。
「どうしてこなかったの!」
これだけ書くのがやっとだった。歯がゆい一日ごとのやりとり。
「実は私、あの場にいたの」
「嘘つき! いなかったよ!!」
「あなたは気づかなかったけれど、図書室横の樹の下で私はあなたのことがわかったの」
「君がいたら気づくよ!」

「私の気持ち、わからなかった?」
意味がわからない。彼女の気持ち……どういうことだ?

彼女は毎日一言ずつ教えてくれた。
「はじめて、あなたが書いたその文字を読んだとき、私はあなたに特別なものを感じた」
「あなたと私は、同じ気持ちを持っている」
「あなたが私を想うその気持ち……私も持っていることに気づいた」
どういう意味なんだ?
返事の言葉が僕の頭の中をグルグルする。
まさか、僕と彼女はお互い好きあって……

「あなたの手が、私の言葉を書くときに少し震えたの、気づいてた?」

思いがけない返事に僕の思考は止まった。
勉強に集中していたはずの一瞬、ふっと意識が途切れて、その隙間に彼女が前に出てきた。
気づけば、僕の手が勝手に机に落書きをしていた。
それをあとから僕が読んで、返事を書いた。
僕の返事を読んだ彼女が、また僕の手を借りて返事を書く。
ずっと、そのくり返しだった。
会いたいと思っていた相手は、実は僕自身だったのだ!

「僕は自分自身に恋したというのか?」
「それが、なにか悪いの?」
その言葉は僕の胸の奥に静かに落ち、図書室の夕暮れと重なっていった。
消されることのない鉛筆の線だけが、机の上に残った。

—— おわり——