私は動物を飼うことができないアパートに住んでいる。
ペット禁止の貼り紙を見るたび、胸の奥でなにかが鳴く。
——それなら、体の中で飼えばいい。
「私、胃を飼ってるんだ」
最初は冗談のつもりで始めたその考えは、だんだんと本気になっていった。
私はお腹の中に、小さな命が住んでいると信じることにした。
胃という名の小さな生き物が、私の体の中で日々の食事を楽しんでいる。
空腹になると、胃は「クゥ~ン」と鳴く。
私はその音が可愛くて仕方なく、いつもお腹が鳴る度に食べ物をあげてしまうのだ。
お腹が空いているときは、胃が「もっと食べたい!」と鳴くのだと思うと、つい食べ過ぎてしまう。
しかし、最近ダイエットを決意した。
友達と会う約束があり、少しだけ体を絞りたかったのだ。
でも、食べることが好きな私は、ダイエットが辛くて仕方がなかった。
「お前のためでもあるんだよ!」
ダイエット中、胃が鳴くたびに私は言い聞かせた。
食事を抜くたびに、胃が悲しげに「クゥ~ン」と鳴いて、それが本当に愛おしく思えた。
でも、ここで我慢しないと、せっかくの努力が無駄になる。
毎日少しずつ食事の量を減らし、お腹の鳴き声を我慢する日々が続いた。
胃が「キュルルルルルル……」と鳴くと、
「もう少しだからね」
私は優しくその声を無視した。
やがて、少しずつダイエットの成果が現れ始めた。
お腹は少しへこみ、体重も減少した。
それと並行して胃の「クゥ~ン」という鳴き声が、だんだんと静かになっていった。
胃が静かになったことに、私は少し寂しさを感じると同時に、達成感を覚えた。
ある夜、不思議な夢を見た。
夢の中で、私は手にリードを持ち、散歩道を歩いている。
そのリードの先には、犬のような形をした「胃」がいた。
ピンク色の丸い体に、口が大きく開いている。
胃は楽しそうに周囲を嗅ぎ回りながら、ゴミ箱の中を漁ろうとする。
「ダメだよ、そんなの食べちゃ!」
私は胃を制止しようとリードを引っ張ったが、胃は突然唸り始めた。
「グルルルル……」
次の瞬間、胃が私に飛びかかってきた。
私は必死に逃げようとするが、胃がリードを引っ張り返して私を地面に倒す。
私の上に乗り、まるで復讐するように体を締めつけ、私に向かって大きな口を開いた。
「もう我慢なんかしない……お前を食べてやる!」
胃は口のように食道を広げ、私を頭の上から包み込んでひと呑みにした。
そして私は胃の中で……
暗闇で目を覚ました。 ひどい寝汗をかいていた。
私は、そっと腹部を撫でた。
そして、ついにダイエットを終えた(ことになっている)その日。
私は、この身体へのご褒美を用意した。
久しぶりに会った友達と向かった先は、駅前の焼き肉屋だ。
テーブルには、厚切り牛タン、カルビ、ホルモン……焼き網の上でじゅうじゅうと肉が焼ける音がするたびに、私の腹の奥が期待に打ち震えるのがわかった。
「どう、おいしいでしょ!」
私はそう言いながら、焼きたての牛タンを次々と口に放り込み、咀嚼し、食道へと送り込む。その作業がたまらなく愉快だった。
「ちょっと、私以外の誰と喋ってんの? なんか今日、雰囲気変わったね」
友達は含み笑いしながら突っ込む。 私はただ、ニヤリと笑って見せた。
満腹になった頃、お腹の奥から、くぐもった音が聞こえた。
「クゥ~ン……キュゥ~ン……」
それは、これまで聞いてきたような食欲の合図ではなく、どこか悲痛な、助けを求めるような鳴き声だった。
「……して、……してよ」
微かに、人間の言葉が混じっているように聞こえた。
「ん? なにか言った?」 友達が不思議そうに私を見る。
「ううん、なんでもない。ちょっと食べすぎちゃったみたい」
私は腹部を軽く叩いて黙らせた。
——静かにしろ。
私は心の中で、腹の中に閉じ込めた「かつてのこの身体の持ち主」に向かって語りかけた。
お前はもう、ただの空腹の象徴だ。
これからは私が、この身体を使って存分に食事を楽しんでやる。
飼い主が変わったんだよ。
「キュ……」
腹の奥で、小さく絶望的な震えが伝わってきた。
私は満足げに、メニュー表を手に取って次の獲物を探し始めた。
—— おわり——




