月別アーカイブ: 2026年1月

【小説】恐竜のせいで学校に行けません

「学校行くのいやだなあ……」
麩月(ふづき)は、ベッドの上で目だけ出して布団に潜り込んでいる。
彼女は小柄で、普段からあまり目立つタイプではない。
何をするにも億劫で、学校では「気が抜けた豆腐」とまで言われている。
でも麩月には、誰にも負けない特技があった。

「そんなとき!」
麩月は目をつぶって、何か考え始める。
つまらない日常を打破するため、麩月は想像力を活用する。
どんな退屈な時間でも、一瞬で夢中になれる想像の世界を作り出す能力だ。
現実はいつも重い。だから私は、軽い世界を自分でつくる。

「1・2……」
ばっと起き上がる。
「ほら! 窓の外は白亜紀!!」

窓の外でプテラノドンが鳴いた。
本当はカラス……のはずなのに、今日は黒くない。
ビルの屋上から屋上へ滑空している。
トリケラトプスが大きな角を揺らしながら走り、草食恐竜たちがゆっくりと草木を食べている。
街中で恐竜が闊歩している。

「行ってきます!」
やる気が出たので、麩月は学校へ向かう。
ヴェロキラプトルが「グルルルル……」と、隣の家の塀の中で唸り声をあげている。
(けれど私はわかっている。本当は隣の犬が吠えているだけ)
ステゴサウルスの群れが尻尾を左右に振りながら道路を横断する。
(本当は自転車通学の高校生たちね)
トリケラトプスに人が乗って走っている。
(あれはバスよ)

これは麩月がいつもおこなう想像ごっこである。
あるときはお忍びでやってきた王女様が街を視察するごっこ。
あるときは銀河の彼方からやってきた宇宙人になりきって地球を観察するごっこ。

咆哮を上げ、麩月めがけて走ってくるティラノサウルス。
巨大な足音が地面を揺らし、周囲の建物の窓がガタガタと音を立てている。
「ダンプカーだということはわかってるのよ」
しかし、ティラノサウルスの姿があまりにもリアルで、麩月の想像力は暴走していく。
トリケラトプスの角が陽光を反射して鈍い輝きを放つ。
プテラノドンの影が街全体に広がり、人々はその存在に怯えるどころか、自然の一部のように受け入れている。
「こんなに完璧な世界が作れるなんて、私って天才かも!」

一瞬だけ得意げな表情を浮かべた。
その直後、ティラノサウルスの巨大な瞳が、彼女を見透かすようにわずかに動いた気がした。
一瞬、心臓が跳ねる。
ギョッとした。
ティラノサウルスが顎を大きく開き、麩月の頭上に迫ってくる。
わかってる。これはダンプカー。いつもそうだった。
でも今日は……うまく“区別”ができていない。
感覚のチャンネルが混線しているみたいだ。
「そういうの、もういいから」
苦笑いしながら、麩月は自分の暴走した想像を止めようとする。

……はずだった。

しかし今日は違った。
そのまま恐竜の王者は麩月を咥えた。
巨大な牙が突き刺さり、麩月の意識は遠くなる。
そのまま空中へ振り回し、ティラノサウルスは彼女の身体を地面に叩きつけた。

麩月は横たわったまま、かろうじて目を開く。
「駄目! 私がこのまま死んでしまったら……」

薄れていく意識の中、麩月は手のひらに意識を集中させる。
ティラノサウルスの足元に広がるはずの、ゴツゴツとしたジュラ紀の土ではなく、固く、熱を帯びた現実の舗装道路の感触を。
「これはアスファルト。アスファルト……!」
しかし、手のひらは巨大な肉食獣の足に踏み潰され、感触は消えていく。
建物のガラス窓が轟音にビリビリ震えている。
通りにいた他の恐竜たちも興奮したように動き始める。
アパトサウルスが長い首を建物から突き出し、足元を通行人がくぐる。
ヘルメットを被った青年がコンプソグナトゥスの背に乗り、道路を走り抜けていく。

「恐竜が、私の思い込みが、確信に変わって……このままの世界が続いてしまう……」
麩月の指が地面を掻きむしるように動く。
「駄目…………」
「早く想像をやめないと……」

麩月の眼は見開いたまま静止した。
ティラノサウルスは足音を響かせ、去っていく。
その後に残された血まみれの少女を、通勤途中のサラリーマンが邪魔そうに避けて歩いていく。
スマートフォンを見ながら、誰一人として悲鳴を上げない。
だってそれが、恐竜の日常だから。

——おわり——

【小説】春の妖精

春の陽射しは、やわらかかった。
風には、甘い花の匂いが混じっている。

午後。
少女はそっと靴を履き、扉を開けた。
「お母さん、行ってくる」
鍋の上で湯気が揺れている。
「どこへ?」
「ちょっと、そこまで」
母は、湯気の向こうからちらりと少女を見る。
「また、森へ?」
少女は答えなかった。

家から歩いて一〇分ほどのところに森がある。
春になると、桜の花びらが地面に舞い、
草木のあいだから、小さな光がちらちらと立ち上る場所。
誘われるように少女は歩く。
そこは、秘密の場所だった。

この時期にしか現れないものがいる。
妖精だ。
淡い色の羽を持ち、手のひらに乗るほどの小さな存在。
蝶とも違う。
鳥とも違う。
ただ、この季節にだけ現れ、ふわふわと漂う。
少女は、去年、一度だけ見たことがあった。
けれど、そのときは捕まえられなかった。

今年こそ。

森に着くと、妖精たちはすでに飛び交っていた。
光を反射しながら舞い、喋り、笑い声を上げている。
少女は息を潜め、じっと待つ。
手のひらをそっと伸ばし、身体を動かさない。
「こっちだよ……」
一匹が、そう囁きながらふわりと降りてきた。
指先が震える。
逃げられないように、慎重に両手を合わせる。

捕まえた。

そっと、指の隙間を開く。
かすかに透き通った羽が見えた。
胸が高鳴る。
急いで持ち帰らなくては。

帰り道、少女の心は浮き立っていた。
虫かごの中で、妖精が少女に話しかけてくる。
「君は、可愛いね」
そうかしら。
少女は、嬉しくなる。
「この道は、はじめてかな」
妖精は、虫かごの中から外を覗く。
「おいおい、そっちじゃないよ」
ここはあまり来たことがない。
自信がない。
「こっちだよ」
妖精の言う通りに、歩く。
「そっちじゃないよ」
「こっちだよ」
気づくと、同じ木の影がまた目の前にあった。

妖精は、人を迷わせる。
妖精の言う通りに歩いているうちに、少女は迷ってしまった。
家に帰れない。
泣きながら、歩く。
少女は、笑われている気がした

父と母が、窓の外を見ると。
虫かごを持った娘が、わんわん泣きながら同じ場所を回っていた。

家に戻った少女は、机の上に虫かごを置き、両親と話す。
「妖精って、そういうものなのよ」
「騙すの?」
「騙しているわけじゃないの。進化の過程で、そうなっただけ」
「適者生存、あるいは、最適者生存」
少女には難しい言葉だった。

「こっちだよ」
「そっちじゃないよ」
「こっちだよ」
虫かごの中で、妖精は鳴いている。

「そういう鳴き声なの。本人たちには、意思はない。ただ、人間には言葉みたいに聞こえるだけ」

少女は小さな箱を用意する。
葉と花びらを敷き、水をほんの少し垂らす。
そっと、箱をのぞき込む。
妖精は小さく震えていた。
「君は、可愛いね」
少女を見上げて微笑んだ。

夜になっても、少女は眠れなかった。
布団に入っても、胸が高鳴る。
何度も箱を開けては、中の妖精を確かめる。

翌朝。
妖精の羽は、少しくすんでいた。
箱の中には、甘い匂いとは別の薄い湿り気が混じっていた。
「そっちじゃないよ」
妖精は、鳴いている。
訴えかけるように、何度も、何度も。
「この道は、はじめてかな」
「君は、可愛いね」
声は、だんだん小さくなっていく。

三日後。

羽はしおれ、
「君は、可愛いね」
最後にそうつぶやき、妖精は動かなくなった。
みるみる身体が黒ずみ、異臭が漂いはじめる。
箱の中では小さな虫が這い、花びらの上に溶けたような液体が染みている。
少女は、悲鳴を上げた。

「だから、言ったのに」
母の声は、低く、硬かった。
「捕まえたら、死んでしまう。そう、言ったでしょう」
少女は、震える手で箱を抱え、涙を流す。
「……どうしよう、お母さん」
「埋めてあげなさい」

夜の森へ向かう。
春の香りが、まだ残る木々の下。
少女は、小さな穴を掘る。
腐りかけた妖精を、そっと埋め、手で土をかける。
「ごめんね」
頬を流れる涙が、土に落ちる。

ふとどこからか、かすかな声が聞こえた。
少女は、顔を上げる。
「君は、可愛いね」
春の風に乗って、小さな光が揺れながら舞っていた。
けれど、その手を伸ばすことは、もうできなかった。

—— おわり——

【小説】因果の飴玉

男は黒い服を着ていた。
黒いコート、黒いシャツ、黒いズボン、黒い靴。
夕暮れの街角で、男は道を歩いていた。目的のマンションはすぐ近くだが、正確な場所がわからない。地図を確認しようとポケットに手を突っ込んだとき、小さな影が視界をよぎった。
まだ幼い男の子が、ボールを蹴りながら歩いている。
男はふと足を止め、その子供に声をかけた。
「なあ、ちょっといいか」
男の子はボールを止め、見上げた。
「ん?」
「このマンションの場所を知ってるか?」
そう言ってスマホの画面を見せる。男の子はちらっと見て、すぐに笑った。
「ここだよ! 僕のマンション!」
指差した先にそびえるのは、まさに男が探していた建物だった。
「そうか、ありがとうな」
男はポケットから飴玉を取り出し、少年の手にそっと置いた。
「お礼だ」
「わ〜い!」
少年は嬉しそうに飴を握りしめると、そのままマンションの入口へと駆け込んでいった。男はその背中を見送ると、静かにエントランスへ足を踏み入れた。

「こらっ! どこでそんな飴をもらったの!」
部屋に戻った少年は、すぐに母親に咎められた。
「道で知らない人からもらっちゃダメって言ってるでしょ!」
「いいじゃん! 飴だよ?おいしいもん!」
母親の手から逃れるように、少年はリビングを駆け回る。
「返しなさい!」
「や〜だ!」
鬼ごっこが始まった。少年はソファの周りをぐるぐると走り、母親もそれを追いかける。
そのとき——
少年は勢い余って、棚にぶつかった。
棚が揺れる。
上に置かれていた石膏像が、わずかに傾いだ。
次の瞬間、バランスを失った石膏像が、すぐ隣の金庫の上に落ちた。
重い金庫が、その衝撃でわずかに傾く。
そして——
床が、音を立てて抜けた。

黒い服の男は、下の階の一室にいた。
部屋の中は薄暗い。ベッドの上に座る男は、手に鋭いナイフを握っている。
目の前には、椅子に縛られた住人が震えていた。
「すまんな、仕事なんでね」
そう言って、男はナイフをゆっくりと持ち上げる。
そのとき——
天井から異音がした。
男は眉をひそめゆっくりと上を見上げる。
「……何だ?」
次の瞬間、金庫が天井を突き破って落ちてきた。
大轟音。
男は、言葉を発する間もなく金庫に押し潰された。
「ええっ?」
縛られた住人は、状況を理解する前にさらに異変を目にした。
潰れた金庫の扉が衝撃で開き、中から大量の飴玉が床に転がり出た。
赤、青、黄色、透明——さまざまな色のキャンディーが、まるで男の血の代わりのように床を埋め尽くしていく。
住人は目を見開いたまま、震える声で呟いた。
「……なに、これ……?」

上の階。
「ほら、だから言ったでしょ!知らない人から飴なんてもらっちゃダメ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
母親は溜息をつきながら、床の穴を見た。
「まったく、どうしてこんなことに……」
少年は泣きながら、まだ手の中にあった飴を握りしめていた。
「カラ……ン、コロ……ン……」
下の階から、なおも飴玉が床を転がる音が、少年の耳へかすかに響く。

金庫から溢れ出した飴玉は、爆ぜた火花のように放射状に部屋を埋め尽くしていく。
そのうちの一粒が、騒ぎを聞きつけて駆けつけた警官の足元を音もなくすり抜け、開いたままの扉から外へと滑り出て、マンション前にコロンと跳ねると、観測不能な死角へ消え去った。

その日以来、
このマンションでは誰かが親切にした直後に、
理由の分からない事故が一つだけ起きるようになった。

—— おわり——

【小説】指圧の彼方に

新宿の裏通りは、表の喧騒が嘘のように音を落としていた。
曲がりくねった細い路地の奥に、指圧マッサージ店がひっそりと佇んでいる。
扉を押し開けると、かすかにお香の香りが漂ってきた。
カウンターの向こうから、小柄で白髪混じりの指圧師が現れた。
「肩がこってまして」
と僕が言うと、指圧師は黙って頷き、ベッドを指差した。
横になると、指圧師は肩ではなく、その下のツボを押した。
その瞬間——
遠く、整骨院の窓際に置かれた花瓶の花が、ポン!と開いた。

「お客さん、珍しい体質ですね」
指圧師は満足そうに頷く。
「ツボっていうのはね、東洋医学でいう気の流れに関係しているんですけど……あなたの場合、その流れが身体から外に広がっているみたいです」
「見えるの?」
「触れればわかりますよ。流れが皮膚の外に漏れている」
そう言うやいなや、指圧師は僕の足の裏をぎゅっと押した。
その瞬間、窓の外の雲が裂け、太陽の光がまっすぐ店内に差し込んだ。
「ほらね」
「ちょっと待てよ。遊ばないでくれ」
しかし、指圧師は冷静な顔でツボを押し続ける。
無表情ながらもどこか鋭い眼差しをしている。
遠くのビルの窓がガタリと開き、看板の電飾がチカチカと点滅し、道端のマンホールから湯気が勢いよく噴き出した。
「ここがあれに繋がっているということは……」
指圧師がさらに実験を始める。
至るところへ波紋が広がった。

京都で千年の時を超え、朽ちかけた寺の鐘が突如鳴り響く。
富士山の火口から白い光が漏れ、眩く輝く光の塊が八つの頭を持つヤマタノオロチの姿となり、首を揺らしている。
ナスカの地上絵が動き出し、鳥がアニメーションのように踊り出す。
万里の長城がうねりながら巨大な龍へと変貌する。
世界各地で、常識を超えた現象が次々と発生する。
そして——
テレビのニュースが緊急速報を伝えている。
「速報です!モスクワ赤の広場で異変が発生しました……!」
カメラが映し出したのは、白い鳩の群れ。
広場に降り立ち、空に「мир(平和)」の文字を描く。
観衆が息を呑む中、クレムリンの時計塔が静かに時を告げる。
「ロシアが戦争を……」

画像
「もういいだろ」
僕は疲れ果てて呟いた。
指圧師は肩をすくめた。
「逆に、世界を旅していろんな場所を押したほうが、お客さんの疲れにはいいかもしれませんね」
疲れを取るための指圧マッサージだったはずなのに、僕自身の疲れは残ったまま、別の話になってしまった。
——なんてこった。
次の旅行先を考えながら、僕は重い身体を引きずって店を出た。

—— おわり——